富岡製糸場

この記事は約2分で読めます。

世界遺産に登録される前から知っていたけど、やっと訪れることが出来ました
せっかくなので、ガイドツアーに申し込んで説明をしてもらいました

群馬県富岡に設立された日本初の本格的な器械製糸の工場
1872年(明治5年)の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存している

日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が国宝および重要文化財に指定されている
また、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、2014年6月21日の第38回世界遺産委員会で正式登録された


蚕さん
1893年に三井家に払い下げられ、1902年に原合名会社、1939年に片倉製糸紡績会社(現片倉工業)と経営母体は変わったが、1987年に操業を停止するまで、第二次世界大戦中も含め、一貫して製糸工場として機能し続けた
第二次世界大戦時のアメリカ軍空襲の被害を受けずに済んだ上、操業停止後も片倉工業が保存に尽力したことなどもあって、繰糸所を始めとする開業当初の木骨レンガ造の建造物群が良好な状態で現代まで残っている

開館開所の証 明治5年


東繭倉庫 国宝
木骨レンガ造2階建てで、屋根は切妻造、桟瓦葺きとする
その名の通り、主に2階部分が繭置き場に使われた。両建物とも規模形式はほぼ等しいが、東置繭所は南面と西面に、西置繭所は南面と東面に、それぞれベランダを設ける


東置繭所2階
2階部分が倉庫とされたのは、風通しなどへの配慮もあった
東置繭所の1階部分は当初事務所などに、西置繭所の1階部分は燃料となる石炭置き場に、それぞれ活用されていたが、のちにはどちらも物置などに転用され、建造当初に存在していた間仕切りなどはなくなっている


繰糸所内部 自動繰糸機
柱が無いのは凄い
明治の建造物とは思えませんでした


ブリューナ館
フランス人指導者ポール・ブリューナが、明治8年(1875)末の任期満期まで家族と共に居住しました
当時の日本には、技術がなく高いお金を払ってでもフランスから呼び寄せたそうです
ガイドの方が言うには、時の総理大臣より年収が多く
現在でいう、5億円というから驚きです
女工さんは、月給13万円というから破格の金額です
富国強兵の国策で、いかに政府が力を入れていたかわかりますね


世界遺産登録記念碑

タイトルとURLをコピーしました