寳登山神社 秩父・長瀞鎮座 (宝登山神社)

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寳登山神社(ほどさんじんじゃ:宝登山神社)は、埼玉県秩父郡長瀞町の宝登山山麓にある神社
秩父神社・三峯神社とともに秩父三社の一社
宝登山山頂には奥宮(おくみや)が鎮座する


社伝によれば、景行天皇41年(111年)、天皇の皇子・日本武尊による東征の際、尊が遥拝しようと山頂に向っていると巨犬が出てきて道案内をした
その途中、東北方より猛火の燃えて来るのに遭い、尊の進むことも退くこともできない状態になってしまった
すると巨犬が猛然と火中に跳入り火を消し止め、尊は無事頂上へ登り遥拝することができた
尊は巨犬に大いに感謝したところ、忽然と姿を消した。このことから「火止山」の名が起き、のちに「寳登山」となったという。また巨犬は大山祇神の神犬であった事を知り、防火守護のため火産霊神を拝し、その後山麓に社殿を建て三神を鎮祭した


拝殿
彫刻は、川原明戸村(現熊谷市大麻生)の彫刻師・飯田岩次郎の代表作
私の小さい頃は、彫刻がこのような鮮やか色ではなく色落ちして木の色でした
また寳登山神社は、私の御眷属様がいらっしゃる神社です
オオカミ様と言えば、三峯神社が有名ですがいかんせん遠いし、昔から敷居がたかかったことに対し、寳登山神社は、親しみがありお世話になっています
地元民が例えるとするなら
・寳登山神社=小学生でも、電車に乗れれば行けるところ
・三峯神社=親がいないと、とてもじゃないけど行けないところで親を説得するのが大変なところ
というところでしょうかね

また境内には玉泉寺があります
御祈祷の場合は、玉泉寺から入ります
寳登山神社と玉泉寺の特別な関係~公式HPより
寳登山神社の創祀は今から1900年のむかし、日本武尊御東征の時と伝えられ、神日本磐余彦尊(神武天皇)、大山祇命、火産霊命の御三柱をお祀りします
一方玉泉寺は永久元年(1113)、弘法大師来巡と伝える当地に僧空円が開基にかかわり、爾来代々の住職は別当職として755年にわたって寳登山大権現(神仏習合当時はこのように称していた)の祭祀を続け、この間に京都御室御所の院家格を賜るなど、寺格を高めてきました
明治元年(1868)に四十八世栄明を最後として神仏分離が行われました
ここまでは多くの神社に共通の道程で何のてらいもありませんが、両者の特別な関係はこの分離の仕方にあるのです
即ち両者は、一応は分離の形式をとったものの、寺は従来どおり存在し、あらたまった点といえば
・寺持山林の内から神社の社殿周辺を分筆して神社境内を設定したこと
・新たに神職が常勤することになり、住職の常住を廃し兼務するようにしたこと
・神社は寺から寳登山大権現の講社、講中をひきついだこと
などが主な点であります
玉泉寺は真言宗智山派の末寺で、檀家の多くは長瀞地内に暮らし250戸を数えます
そして寺の建造物や境内地の維持管理は神社側に任されています
さて寳登山神社の氏子は長瀞町内の2200戸、8000人。講社講中は前述のごとく寺時代から受けつぎ、その信仰の内容は変貌しましたが、大小約800講があり、これら崇敬者の接遇には玉泉寺本堂、護摩堂、参集殿など寺との伝統に基づく黙約により利用し、また社寺双方ともにその祭典法要などに際しては互いに参列する例になっています
ロープウェイで奥社へ





阿吽のオオカミ様
鋭い牙があり、凛々しいオオカミ様


奥社とオオカミ様


寳登山神社
主祭神は3柱
神日本磐余彦尊 (かんやまといわれひこのみこと、神武天皇)
大山祗神 (おおやまづみのかみ)
火産霊神 (ほむすびのかみ)
〒369-1305 埼玉県秩父郡長瀞町大字長瀞1828

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