ミャンマー基本知識

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ミャンマー概要データ
東南アジアで長らく軍事政権下が続いていたミャンマーは2011年ようやく民主化のプロセスへ舵を切り経済開放と民主化へ進んでいる後進国になります

ミャンマー連邦共和国、通称ミャンマーは、東南アジアインドシナ半島西部に位置する共和制国家です
1989年まで国家名称はビルマ連邦共和国でした
隣接する他国として北東に中華人民共和国、東にラオス、南東にタイ、西にバングラデシュ、北西にインドと国境を接しています

首都はネピドー(旧首都はヤンゴン)
ミャンマーは多民族国家でビルマ族(人口の60%)、他民族はカレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族、シャン族などの少数民族があります

国・地域名
ミャンマー連邦共和国 Republic of the Union of Myanmar
面積
676,578平方キロメートル(日本の180%)
宗教
宗教は仏教(89.4%)、キリスト教(4.9%)、イスラム教(3.9%)となります

首都はネーピードーで2006年にヤンゴンから遷都しました
同都市は2003年から軍用地だった場所にミャンマーの新行政首都が建設開始。ミャンマー国家平和発展評議会は省庁・政府機関のヤンゴンから移転を2005年から開始して2006年に正式発表しました

ミャンマーの歴史
ミャンマーの初の統一王朝
1044年 現在のビルマ族がミャンマー初の統一王国、パガン朝を成立。首都はパガンでした。
1044年 ~1314年
1287年 パガンの戦いでモンゴル帝国:大元ウルスとビルマのパガン朝が戦争し、敗北。
元軍はパガン朝の首都パガンと領土のほとんどを一時的に占領しました。
その後タイ系民族のシャン人が実権を握り、パガン朝は滅びます。
上ビルマではピンヤ朝(1312年~1364年)とアヴァ王朝(1364年~1555年)を建国しました。

1287年 下ビルマでモン族がペグー王朝(1287年~1539年)を建国しました。

1385年 ビルマ40年戦争が起こり、ミャンマー全土で内戦となりました。

1486年 タウングーに流れ込んでいたパガン王朝のビルマ族遺民によるタウングー王朝が建国。
1531年 タビンシュウェティ王は、ペグー朝を滅ぼし併合します。1754年まで続きます。
1548年 第一次緬泰戦争
1563年 第二次緬泰戦争でアユタヤを陥落、チャクラパット王がビルマの属国になることを認めた。
1568年 第三次緬泰戦争

1752年 衰退した同王朝は、再興ペグー王朝によって滅亡しましたが、1754年にビルマを再統一したコンバウン王朝が建国されます。

1765年~1769年 清緬戦争 中国清に助けを求めたシャン族が乾隆帝と共に興した国土回復戦争
コンバウン朝ビルマはこの時期にイギリスと衝突。
1824年 第一次英緬戦争が勃発。ビルマ側が敗れ、1826年にヤンダボ条約が締結され、一部領土をイギリスに割譲しました。
1852年 第二次英緬戦争でもビルマ側が敗北し、イギリスへ一部領地を割譲。国土の半分を失います。
イギリスはイスラム教徒のインド人・華僑を入れて多民族多宗教国家に変えると同時に民族による分割統治政策を進めました。
1885年 第三次英緬戦争でコンバウン朝王朝は滅亡。1948年までイギリス領インドの一州として続きます。

1943年~1945年 日本軍の支援を受けてイギリスの植民地支配から独立する形でビルマ国が誕生。
その後再びイギリスが主権を持ちます。
1948年 イギリス連邦を離脱してビルマ連邦として独立しました。
現ミャンマー連邦共和国政府はその建国をビルマ連邦が成立した1948年としています。

2007年 保守派ソー・ウィン首相が死去したことに伴い、軍出身のテイン・セインが2007年首相に就任すると
軍政主導の政治体制の改革が始まり、2008年から民主化が進むようになります。

2010年 11月には新憲法に基づく総選挙が実施。政府はアウンサンスーチー氏の軟禁解除を発表。
2011年 テイン・セイン氏はミャンマー大統領に就任。国家平和発展評議会(SPDC)は解散、権限は新政府に移譲されました

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