『ミリオンダラー・ベイビー』の感想と評価

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地上波・映画・アマゾンプライム(有料)で見た作品を紹介していきます
*ほとんどレンタルは利用しません
今回は、アマゾンで視聴 しました。

作品紹介

映画「ミリオンダラー・ベイビー」日本版劇場予告

原題「Million Dollar Baby」2004年 アメリカ
第77回アカデミー賞 作品賞、監督賞

あらすじ

ロサンゼルスにある小さなボクシング・ジムを営む老トレーナーのフランキーの元にある日、31歳の女性マギーが訪れて弟子入りを志願します。
「女性ボクサーはモノにならない」とフランキーは断るも、何度もジムに足を運ぶマギーの素質を見抜いた彼の親友エディの助言を受け、ついにトレーナーを引き受けることとします。

エディの言うとおり、マギーにはボクシングの才能がありました。トレーラーハウスで暮らし、荒れた家庭環境にあったマギーにとって、ボクシングでチャンピオンになる事は現状打破するために必須だったのです。
フランキーの指導によりマギーは強くなり、デビュー戦では第1ラウンドでKO勝利を奪います。

キャスト

監督 クリント・イーストウッド
脚本 ポール・ハギス
原案 F・X・トゥール

出演者 クリント・イーストウッド
ヒラリー・スワンク
モーガン・フリーマン

音楽 クリント・イーストウッド

感想

今回は、知り合いにおすすめ映画を聞いたところ、この作品を推された
友人は、映像作品には詳しいので期待が持てる
早速、視聴してみた

クリント・イーストウッドといえば、監督も俳優もこなすイメージ
『ミスティック・リバー』の次のらしいが私は見たことがなかった

このミリオンダラー・ベイビーの次の作品が
父親たちの星条旗、
硫黄島からの手紙 につながる

さて、今回の作品は深いメッセージ性のある作品でした
以下ネタバレあり

4:面白いし満足度が高い作品。他人に是非勧めたい。何度も見れる

私の視聴結果の基準を指標化
評価を数値化、指標化すること 面白さの指標化が出来るって良い事だなと常々思うんですけど、今まで特にそういう評価基準みたいなのを記事に設けて無くて、今更この素晴らしいシステムを導入するのもどうかとしばらく悩んでいたんですけど、あった方が絶対...

【ネタバレ】あなただったらどの様な決断をしますか?

まず初めに、この作品はスポ魂作品では無い
ボクシング映画というだけでは語りつくせない重さ・暗さ・後味の悪さが残るストーリーで、考察をしても楽しめる多くの魅力が詰まった映画になっていました。

私は、ロッキーを代表とする既定路線で最後は勝利的な作品はあまり好きではない。
ボクシングジムを経営するフランキーと女性ボクサーのマギーの絆の話。
タイトルを目前としたマギーに悲劇が襲う。

厳密にいうと、最初から作品経過の60%は、ボクシングの話
後半の40%は深い苦悩の話である

ラストは、バットエンドだが私はバットエンドが好きなんですよね
というのも、ハッピーエンドと比べるとバットエンドって作中に没入というか、感情移入しないと何だこれ??
って作品になってしまうからです

簡単に言うと、感情移入できなければクソ作品になるからです
ラストまでの間に、ヒロインや主人公気持ちがわからないと成り立たないのです

優秀だが人付き合いの下手なトレーナー。
選手に寄り添う元ボクサーの男。
貧乏・年齢にも負けない女ボクサー。

そこから、事故というか故意というか
どん底に落ちていきます

ヒロインの家族の描き方も上手でクソな家族を出している
これにより、ヒロインに増々感情移入したくなる手法だ

さて、主人公のフランキーですが影が多い
選手がケガをしないように慎重になっていること。
娘に手紙を出し続けていること。
教会に毎日参加していること。
マネージャーになったこと。

人付き合いが下手なことも相まって、頑張れば頑張るほどから回ってしまっている感じが、何とも切なくて…個人的には共感できました。
それでもマギーと出会ったことで少しずつ変わり始めていて、とても微笑ましくてこのままハッピーエンドを迎えてほしいなと思っていたのですが…

考えさせられるラスト

尊厳死、安楽死問題とも絡んでくる
もし、自分の家族でマギーの様になって、死を選びたいと言ってきたら、自分はどうするべきなのか…

自ら命を絶とうとするマギーの気持ちを汲んで、その手助けをしてしまうフランキー

彼女亡き後、フランキーはボクシング・ジムも捨てて姿を消してしまいます。
切なさと虚しさと悲しみだけがどんどん押し寄せてくる、少しの希望すらも全て粉砕するようなラスト

個人的には、神父さんに諭されるところが一番切なかったな
多分、相談した時点で安楽死の決意は決まっていたのではないか??
相談するときって、同意が欲しいだけでだいたい心の中は決まってますからね…

モ・クシュラとは??

映画の中では「モ・クシュラ」を「おまえは私の親愛なる者、おまえは私の血(My darling, my blood)」と訳している。
(「モ・クシュラ」は「おまえは私の鼓動だ(My pulse)」を意味するゲール語の親愛表現であり、『A chúisle mo chroí』(ああ、私の心臓の鼓動よ)の短縮形である。)

「モクシュラの意味は..」と.. それを聞いたマギーの顔が今でも忘れられません。
私は思ったのです.. もしかしてマギーは.. この瞬間が一番嬉しかったのではないのかな!?と.. フランキーは軽い男じゃなく、モクシュラの意味でさえ、なかなかマギーには伝えていませんでした。

もしかしたら恥ずかしかったのかも!?照れるからなのか!?とにかく軽く言えるタイプの男じゃなかった..
そんなフランキーが、最後に愛弟子に伝えた最高の言葉.. それが、モクシュラだったんだな!と.. そして、それを初めて知ったマギーの瞳からは一粒の涙が流れ落ちてゆきます。
私はその瞬間が一番心の奥に感動が込み上げました。 涙が溢れてきました。 そうです! マギーは産まれて今まで、こんなに愛のある言葉をささやいてくれた人はいなかったはずです..

ケルトとは??

ケルト人というのは紀元前1000年より以前から、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族とされ、古くは紀元前1世紀のローマ皇帝カエサルの「ガリア戦記」や、ゲルマン系のアングロサクソン人との抗争に登場する、云わばヨーロッパの古層を成す民族です。これは西欧社会がキリスト教やギリシャ・ローマ文明を受け入れる前の、原ヨーロッパ文化を表わすもののようで、アイルランドに限らず、紀元前5世紀ごろまではヨーロッパ各地に存在したと考えられています。

その後、大陸のケルトはラテン系のローマ帝国に同化されます

HBO ローマ も史実に基づいていていい物語ですよ

作中では、最初から最後までケルト語を学んでいる様子が描かれている
いつも、本を持っていると思っていたらケルト語でした

『ミリオンダラー・ベイビー』の考察ポイント

【考察ポイント】
①タイトルの意味
②レモンパイ屋にフランキーがいるラストの意味
③娘・ケイティへの手紙が返ってくる理由

①タイトルの意味

『ミリオンダラー・ベイビー』には、100万ドルの娘・恋人という意味が込められているのだと思います
100万ドルは世界タイトルを獲った時に手に入る賞金のこと
ベイビーとは娘のような恋人のようなマギーのことです
実際には100万ドルは試合が中断されてしまったので手に入れることができませんでしたが…。
あのまま戦っていればマギーが勝っていたはずだと、フランキーもスクラップも思っているので、100万ドルの子というのはマギーを指していると思います

ベイビーには娘のような子というだけではなく、恋人のような愛する人という想いも込められているのではないでしょうか。
マギーはフランキーのことを父親のように慕っていましたが、フランキーは娘のように想っているけど恋人のように想っている部分もあるのではないかなと思います
個人的には親子のような愛と恋人のような愛の2つが、ベイビーという言葉には込められているのではないかなと思います。

②ラストのレモンパイ屋の意味

マギーと里帰りにした時に訪れたレモンパイ屋にフランキーがいたのは、マギーの思い出に浸りながら、マギーとレモンパイを待っていたのだと思います
フランキーがマギーに詩を読み聞かせていた時、マギーが「あなたの傍らには本とレモンパイ」「(私が)レモンパイを焼くわ」というセリフがあったので…。

フランキーは思い出のあの店で本を読みながら、マギーがレモンパイを焼いてくれるのを待っているのではないかなと思います。
マギーを失ったことでフランキーの精神はすでに壊れかけていると思うので、もうマギーがいないことすらも気付いていないのではないでしょうか
もしくはフランキーの中で、マギーはずっと彼の側にいるのかもしれませんね

③娘・ケイティへの手紙が返ってくる理由

娘や家族と疎遠になっているからという可能性もありますが、もしかしたらフランキーの娘・ケイティはすでに亡くなっているのではないでしょうか?

マギーが「家族は?」と聞いたときに、フランキーは「いない」と答えていましたが「娘はいる」と言っていました。
その明らかに矛盾している答えを考慮すると、フランキーは家族を亡くしたことは認識しているけれど娘を亡くしたことについては理解できずにいるのではないでしょうか?
正確には理解していたのですが、あまりにも悲しすぎる現実から目をそらすために忘れてしまったのではないかなと思います。

ここからは妄想ですが…。

毎日教会に通っているのは、実は妻と娘の冥福を祈るためでした。
しかし家族を失った悲しみを癒すことはできず、その苦しみを神父様に相談したら「娘への手紙を書こう」と提案されたのではないでしょうか。

日々のこと・謝罪・これからのことなどを書いた娘への手紙を渡してくれたら、神の下にいる娘さんに届けると。そうしたら少しは気分も晴れるだろうと…。
そしてフランキーは神父様の助言もあって娘への手紙を書き始めたのですが、精神的に疲れ切っていたフランキーは娘が亡くなっていることを忘れてしまいました。

娘が亡くなっていることを忘れたフランキーは、娘への手紙を届けようと手紙を郵便で出すのでしたが…それが届くことは永遠になく、ずっと返却され続けてしまいます。
だからフランキーは娘に届かない手紙をずーっと出し続けているのではないでしょうか?

と、妄想してみました。 この作品は、考察がはかどりました
個人的には視聴中から視聴後まで楽しむことが出来て大満足でした

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